先生の質問に勢いよく手を挙げる子もいたし、挙手をためらっている子もいた。どの教室にも見られる日常的な学習風景である。しかし、しばらく授業を参観している間に、これまでの先生のきめ細かな配慮のようなものが見えてきた。何度も音読の指名を受けて学習範囲を読む子もいたし、発言の仕方を指導される子と、発言の内容を指導される子とを意図的に考えておられるような場面があった。
授業後、「前の時間の観察で、音読が十分でなかったので、この授業で力をつけてほしいと考えたから」「内容に興味を持っていたことが前の時間の学習感想に書いていたから」「発表の仕方が充分でないと判断したから」と「前の時間」というのが繰り返しでてきた。授業の成果を何で測るかという場合、「前の時間」はキーワードにならないだろうか。