2020年05月15日

こわれた千の楽器

感想
「こわれた千の楽器」は、こわれて使えなくなった楽器たちが、みんなで力を合わせて、えんそうをするようになったお話です。
あるとき、楽器倉庫をのぞいた月が、「こわれた楽器」といわれ、「こわれたなんか、いません。ちょっと休んでいるのです」といいったチェロの言葉がきっかけになり、お話がすすんでいきます。
 どの楽器も、えんそうをしたいと思っていました。しかし、音が出ないので、いままで、もうえんそうはできないと思ってあきらめていただとおもいました。しかし、チェロが、とっと休んでいると月にうそを言ってしょんぼりしているのをみて、みんなの気持ちの中に、えんそうをしたいという気持ちがあったのだと気がつきました。
 こわれているのに、えんそうをするってだいじょうぶかなと思っていました。でも、だいじょうぶでした。
 こわれていても、音が出るのです。自分がだせる音を出し合っていくという方法です。「こわれた楽器どうしで一つの楽器になろう」としました。倉庫の楽器がひとつの楽器とはすといなと思いました。練習は大変です。実際の音は聞いていないけど、バラバラの音を出す楽器が、一つになるというのは難しいし、力を合わせないとできないことは、よく分かります。
 えんそうの経験は、ぼくには、学校の音楽会しかありません。はじめは、音は合わなかても練習をして、がんばるとよういえんそうになります。楽器たちが、毎日練習をして、一つの楽器になった時のうれしさが伝わってきました。
 ある夜、倉庫の中から、きれいな音がする楽器のえんそうをいいうっとりしているというところでお話がおわります。おたがいに足りないところをおぎないあった楽器に、いっぱいおうえんしたい気持ちです。
posted by ky at 06:46| Comment(0) | 日記

2020年05月11日

うきくさ 5月

うきくさ例会(5月)
葱坊主とぼけ上手なじいじい居て  政苑
夕蛙不協和音の輩居て       夏生
母の日の十七文字の感謝状     武人
糠の香と共に筍茹で上がる     紀子
兜の緒キリリと此処に男子あり   今日子
疎水口つがいの鳰や又潜る     近江
フルートの音色は軽し花水木    幹雄
夢覚めて通草の花咲にけり     まさる
湖上からエンジン音や夏近し    寿子
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自転車で家庭訪問麦の秋      幸司
posted by ky at 11:20| Comment(0) | 日記

学びの時

「学びの時ー自粛を好機に」という見出しのもと、薬師寺、大谷僧侶の法話が新聞紙上に掲載されていた。
日常の生活が大きく変わってきた今の時代、どのように生きていくかを説かれたものです。不安なおは
心が変化についていかないこととで「心が、今までの生き方にひきすられている」という内容でした。
大谷僧侶が24年前に人生を変える詩に出会われたことを詳述されています。
その詩は、
「なりたい」
心がこわれるほと
苦しくて
やさしい言葉を掛けてくれる人
捜してけいど
どこにもいない
ふと思う
捜すような人間やめて
やさしい言葉を掛けられる
そんな人間になりたい
(八田少年院刊『生活詩集若い木の詩』より)
この詩を無着成恭さんは「こういうのを仏教ではさとりという」といわれたということも述べられている。
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posted by ky at 10:58| Comment(0) | 日記