感想
「こわれた千の楽器」は、こわれて使えなくなった楽器たちが、みんなで力を合わせて、えんそうをするようになったお話です。
あるとき、楽器倉庫をのぞいた月が、「こわれた楽器」といわれ、「こわれたなんか、いません。ちょっと休んでいるのです」といいったチェロの言葉がきっかけになり、お話がすすんでいきます。
どの楽器も、えんそうをしたいと思っていました。しかし、音が出ないので、いままで、もうえんそうはできないと思ってあきらめていただとおもいました。しかし、チェロが、とっと休んでいると月にうそを言ってしょんぼりしているのをみて、みんなの気持ちの中に、えんそうをしたいという気持ちがあったのだと気がつきました。
こわれているのに、えんそうをするってだいじょうぶかなと思っていました。でも、だいじょうぶでした。
こわれていても、音が出るのです。自分がだせる音を出し合っていくという方法です。「こわれた楽器どうしで一つの楽器になろう」としました。倉庫の楽器がひとつの楽器とはすといなと思いました。練習は大変です。実際の音は聞いていないけど、バラバラの音を出す楽器が、一つになるというのは難しいし、力を合わせないとできないことは、よく分かります。
えんそうの経験は、ぼくには、学校の音楽会しかありません。はじめは、音は合わなかても練習をして、がんばるとよういえんそうになります。楽器たちが、毎日練習をして、一つの楽器になった時のうれしさが伝わってきました。
ある夜、倉庫の中から、きれいな音がする楽器のえんそうをいいうっとりしているというところでお話がおわります。おたがいに足りないところをおぎないあった楽器に、いっぱいおうえんしたい気持ちです。
2020年05月15日
こわれた千の楽器
posted by ky at 06:46| Comment(0)
| 日記
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