2016年12月08日

実南天

うきくさ句会
実南天老舗の庭に色を足す   夏生
陽光をためてたわわの実南天  幸司
暮れはやし急がぬ用を急ぎけり 夏生
石橋の反りすれすれに冬紅葉  紀子
色褪せぬ母の記憶や帰り花   静苑
来年も輝くつもり冬木立    幸司
posted by ky at 17:19| Comment(0) | 日記

2016年11月20日

日記の履歴

教員生活では、次の3つをやりました。学級通信を毎日出したこと、日記を毎日書かせたこと、親子日記をやったことです。親子日記というのは、子供がと親と私が書いて、次の家にゆく、というノートです。これを6冊用意しました。この6冊が同時にクラスを回ります。
 日記をやった理由は、子供を知りたかったからです。子供を知らなければ、小学校の指導なんてできません。教師に見えているのは、学校にいるときだけ。「さよなら」から「おはよう」までの間は見えません。でも、そこが見えないと、翌朝の「おはよう」の意味が分からないんですね。
 日記を読んでいれば、事情が分かります。「昨日遅かったのにがんばってるね」「お父さん、大丈夫?」といった声掛けが可能になるのです。
 ずっと日記を読んでいると、書いているときの子供の様子が分かるようになります。この子はここで間を取って書いたとか、鉛筆が折れたとか、消しゴムで消したとか。どうして間を取ったのかな、消す前は何を書いていたのかなということを想像します。昨日と字が違うということにも気づきます。子供ごとの違いも分かりますし、同じ子が1年間でどう変わったのかも分かります。それはそれは楽しいことです。
posted by ky at 08:26| Comment(0) | 日記

2016年11月19日

道徳と子ども理解

 道徳の時間は子ども理解が前提にある。しかし、最近授業に仕方が優先し、
いい発言の基準がわかりにくい。
 子どもを理解すると簡単にいうが、その奥には深い営みある。
「ぼくの気持ちがわかってもらえる」「友達と話をするのが楽しい」と子どもと教師、子ども同士がが思えるようになったら、学級づくりは成功です。心が通う学級に育っている。心が通う学級は相手のことを理解することから始まるから。 子ども同士、あるいは、教師と子どもが心を通わすためには、学校という場では、自分の気持ちや考えをしっかりと表現することの大事さに気づかせる必要がある。学級には、意地悪したりわがままを言い仲間から外れようとする子がいる。その子らを支え励まし、学び合う喜びに気づかせるのが道徳の授業である。道徳の授業をすれば、急によくなるというものではない
posted by ky at 16:51| Comment(0) | 日記